生まれ変わりを信じない人が、死を怖れない考え方とは

生まれ変わりを信じない人が、死を怖れない考え方【人は死ねばゴミになる?】

これまで何本かの記事や動画を使って、人間誰にもある、
死への漠然とした不安や恐怖感を、スピリチュアルな死生観を持つことで大幅に緩和できること、

それどころかむしろ死をいい意味で楽しみに待つことすら
可能だ
ということをお伝えしてきました。

ちなみに「良い意味での楽しみにする」とは、
以下の意味ではありません。

例えば

・今生、つまり今生きているこの人生がつらすぎるから
 死んでやっと逃げ出せる
・今生で上手く生きられなかったからリセットして、
 あの世とか次の人生でもっと面白おかしく生きることに期待する

ではないですし、また

・どうぜ今生は一時的で仮の人生なのだから適当に、
 あるいは欲望のままに生きても構わない

いうのでもありません。

全く逆で、ちょうど難しいロールプレイングゲームや、
あるいは
柔道や剣道のように、等級が上がるほど
難易度が上がるスキルにおいて、

時々失敗しながらもそのおかげで多くを学ぶことができ、
その結果として精一杯 今生を生き切ったら、
充実感と安心感を持って死を迎えることができる
ということです。

そして一休みした後、再び課題を決めて、
今生よりも更に少し難易度を上げた人生を計画して、
生まれてくる。

そしてまた魂レベルを上げていく・・・
という人生観、死生観のこと
です。

この死生観のどこにも、従来型の宗教や、
いわゆる神や仏は出てきません。

もちろん、自分や人生の本質を考える上では、
個人の自我という小さな枠組みを超えた視点が必要なので、
それを表す用語として便宜的に「神」などの言葉を使うことはあります。

しかしこの用語自体は何でも良くて、
例えば「宇宙」とか、「大いなる存在」とか「全て、全体」
などと言っても構いません。

要するに人生を生きていく上で、最も苦痛をもたらす概念が
「自分は1つの独立した、もっといえば孤立した人格であり、
物事は偶然によって起き、死んだら全て無に帰る」
という死生観なので、この逆をいくのが精神安定のポイント
なのです。

そして
「自分は孤立していないし、肉体という衣服を脱ぐことが『死』であって、
自分の本質である魂はずっと連続している。

しかも同じように他人の魂たちも全体性と
つながっているので、

つまり自分も他者も根っこでは一緒で、一つであり、
誰も孤立していないのだ」

という観点が腑に落ちた時、もはや死を含めて
人生であなたを脅かすものは何もありえない
ということが実感できるようになります。

死ねばおしまい、という考え方だと…

ただ、そうはいっても、世間の大半の人々はまだ、
「死後の世界やら、来世なんて、怪し過ぎる。
変な宗教やスピリチュアルにハマって、人生を踏み外したくない」
という、漠然とした警戒心があるので、このように良い効果を持つ人生観も、受け入れがたく感じる人が多いようです。

特に「自分は科学的、論理的思考を重視する人間だ」
という人は、
「人は死ねばチリになるのだし、生まれてきたのも
たまたまの偶然なので、これといった意味もない。
だからこそ、自分自身で一生懸命考え抜いて、
人生を生きる意味を定義するのだ」
という立場を好むようです。

もちろん、それはそれでその人の自由なので、全く構いません。
ただ、この後でも述べますが、そうした立場の人たちの意見をいくら読んでも、あまりワクワクしないなあとか、さほど希望を感じられないなあ、
というのが、私の正直な感想です。

もっというと、彼らの発言を読んでも、そこで得られる「死が怖くない」とか「死を受容する」とはいっても、良い意味での「あきらめ」がせいぜいで、死そのものを次なるプロジェクト(つまり次の人生)への希望に感じたりはないなあ、と思ったものです。

むろん、そうした、科学的・客観的思考を最も尊い価値とする人たちは
「本来、意味のない人生に、個人で後から意味をそれなりに見出して、
その意味に基づいて毎日を一生懸命生きることこそに意味がある」
と考えているでしょうから、どうぞご自由に、ということになりますが。

立花隆氏の例

例えばNHKスペシャルとして1991年及び2014年にTV放送され、
いずれも高い視聴率を獲得した「臨死体験」という番組を制作し、
取材やライターとして名高い立花隆氏は
『死はこわくない』という書籍の中で、以下の内容を書いています。

世界の科学者たちが行なった動物実験で、脳細胞の電気信号や
脳内ホルモンの分泌具合から推測して、「いわゆる臨死体験とは
死に際の脳が見せる幻覚体験に過ぎないのだ」と。

確かに、臨死時にそうした変化は測定されたのでしょう。
しかしだからといって、それだけが臨死体験の正体だと断言できるほどの
根拠もまた、ないのではと思うのです。

この本の中でも言及されているのですが、ハーバード大学医学部教授で
神経生理学者であるアラン・ホブソン氏はその著書
『夢の科学――そのとき脳は何をしているのか』の中で、
夢見の時に特定の脳内ホルモンの分泌が高まっていること、
夢を見る時の極端に情緒的だったり非理論的だったりする性質は
それらのホルモンの性質で説明できるので、
別に夢に心理学的意味付けをする必要はないし、
全く無意味である、と断言しています。

確かに、夢を見ている時にそうした脳内ホルモンの
分泌パターンはあるのでしょう。
しかしだからといって、
夢がそれだけで説明できるのでしょうか。

私は潜在意識つまり深層心理を扱う精神分析学や催眠療法を長く学び、
実際に患者さんやクライアントさんたちにも実施してきましたが、

その経験からすると、単なる脳内ホルモンのいたずらだと
クライアントに告げるよりも、夢を入り口にして本人の深層心理的葛藤を
解きほぐした方がはるかに効果的だし、それにより本人の不安が減り、
自尊心が上がり、おかげでその後の人生が生きやすくなるのです。

同様に、動物実験などでの臨死時の脳で、特定の脳内ホルモン分泌が
一時的に活発化することや、そのホルモンによる作用で
臨死体験でよく証言される天国やお迎えイメージを説明できるからと
いって、臨死体験を「脳内ホルモンが見せる幻覚体験」のみだと
決めつけるのは、いかがなものかな、と感じましたね。

ちなみにに立花氏は著書『死はこわくない』の中で、
死んだら肉体には何の意味もないので墓も葬式も要らないと述べていますが、
お葬式は本人のためというよりは遺族が心の整理をつけやすくするための
儀式なので、墓も葬式も省略、というわけにはいかないでしょう。

あと、土葬の方が自然で、火葬は不自然だ、
死んだら遺体を細かく切って、生ゴミと一緒に混ぜて土に返す
「コンポスト葬」が最も自然の理にかなっていると主張しています。

コンポストとは、生ゴミを入れて、微生物で分解して堆肥を作る
大型のコンテナのような器のことです。
こ「コンポスト葬」はイギリスの作家
コリン・ウィルソンのアイディアだそうです。

もちろん実際には、そんなことを日本で行なったら死体損壊罪に
なってしまうので、無理なのは承知しているので、
であるならば火葬でできた遺灰を撒くのが次善の策ということになりますが、そこで立花氏は、私から見て「あれ??」という発言をしています。

1つ目は、「火葬が不自然だ」という根拠です。氏はこう述べています。
「人間の遺体の場合、土葬の頃はよかったのですが、
火葬が主流の現代では、誰にも食べられず、ガスとして無機物に転化していくことになります。これでは人間が生物界の一員であるとはいえません」。

つまり、「自然」であるとはあくまでも「生物界」に所属している必要が
あり、「有機物」状態で、他の生き物に食べられないといけない、
という考えのようですね。

だけど、例えば森で動物が死に、他の獣や虫に食べられたりしても最終的にはそれらの糞尿になってまた出てきて、それが更に細菌などにより
分解され、最終的には二酸化炭素や水などの無機物になって土に混じり、
それが植物の栄養として吸収されたりします。

もちろんガスや水分自体としても大気や雨や霧などの形で循環し続けます。
そこに有機物か無機物かでの区別はありません。
この循環自体が、本当の意味での「自然」なのではないでしょうか?

2つ目は、
「チベットで行われている、遺体を刻んでハゲタカに食わせる『鳥葬』も理論的には悪くないけど、美学的にはチョッとどうかなと思います。
海に遺灰を撒く散骨もあるようですが、
僕は泳げないから海よりも陸のほうがいい。
コンポスト葬も美学的かつ法的に難点があるから、妥協点としては樹木葬あたりがいいかなと思います。
生命の大いなる環の中に入っていく感じがいい」

と述べていますが、
葬式も不要というほどに徹底的に肉体は無意味だ、
死んだら無に還ると100%感じられているのなら、
撒かれる場所が海だろうが下水の中だろうが、どうでも良いのでは?

選り好みするところが、遺灰に自分の何かをまだ投影している、
つまり遺灰を自分の一部だとまだ感じていることを意味しているのでは、
と感じざるを得ませんでした。

あと、これもこの本の中で引用されている話なのですが、
3度の臨死体験から生還したある人の発言で、
最初の2回は楽しく愛のあふれるイメージだったが、
3度目だけは寒くて辛かった、

それは2度目までは病院の温かなベッドの上で臨死したが
3度めは救急外来の冷たい救急処置台の上だったからである、
との証言を載せています。

この例も「臨死体験は、夢と同様、その時の肉体的環境の影響を受ける」、
つまり臨死時の脳内ホルモンで幻覚を見るが、同時に
その時の外部環境の影響も受けるので環境が悪いと臨死体験も悪い、
という結論を立花氏は出しているわけです。

確かに夢を見る際にも、尿意を感じている時ならトイレを探す夢を見たり、
寒い部屋で眠ると冬山にいて凍えそうな夢を見る、
といった例はいくらでもあります。
しかし一方で、肉体的・生理的環境とは無関係に
上記と全く同じ夢を見ることも十分あることなのです。

加えて、実際には、悲惨な交通事故などにおいても、多くの人が
「気づくと視点が自分の肉体を抜けて、下を見下ろしていた。
もう、痛みも恐怖感も感じなかった。
上から暖かな光が注いでいて、呼ばれた気がしたので、そちらに行った」
といった証言をしている例の方が、圧倒的に多いのです。

というか、私はこれまで多くの書籍で臨死体験者の証言を
読んできましたが、
「外部環境が悪かったから、臨死体験も悲惨だった」という事例は、
この人の例が初めてでした。

先程の人が3度目の臨死体験だけ辛かったのは事実だとしても、
その理由が臨死時の外部環境だけで説明できるかどうかは、
この記述だけでは何とも判定しがたい部分が残ります。
なぜなら、その臨死体験に先立つ数日ないし数ヶ月の期間、本人が
どのような精神状態で過ごしていたかは不明だからです。

夢だって、就寝直前に嫌な記憶を思い出していたり、
明日起こるかもしれない嫌なできごとを予想して
不安と恐怖感を覚えながら寝ついたら、そのぶんだけ、
悪夢を見る確率が高まるのは、
心理学的にも脳科学的にもわかっていることです。

同様に、「悪い環境で死んだら嫌だなあ」と常日頃思っていたとしたら、
いよいよ死ぬ時に、半ば無意識レベルであったとしても
「わあ、こんな悲惨な環境で死んだら、悲惨な臨死体験をしてしまう!」
と不安になり、その不安が投影された臨死体験を実際にしてしまう確率が
高まると思われます。

もちろん、先程の人の例では、3度めの臨死体験をするまでは
「死ぬのは怖くない」と思っていたそうなので、
臨死への予期不安そのものはなかったと思われますが、
ただしその他の領域でどんな精神生活を送っていたかは不明なので、
3度目の臨死体験が本当に肉体の環境のみで引き起こされたのかは
評価困難なのです。

一方で、霊能者のリーディング等に出てくる話として、
交通事故など突然の予期せぬ死になった時、
自分の死を認められないというか、
死後にも魂としての意識があるという知識がなかったために、

死後、周りで起きていることに気づいた時に
「気づいているということは、自分は死んでおらず、まだ生きているのだ」と思い込んでしまい、つまり死んだことに気づかず、
肉体を持っているつもりでタクシーを呼び止めて乗り込み
数分後に消えたとか、

自宅に帰って家族に話しかけているのに気づいてもらえず混乱した
といったエピソードもあることから推測して、
普段自分がどんな価値観や精神生活を送っているかによって、
死後の経験もだいぶ変わりうるというのは、十分可能性があるでしょう。

 

ちなみにこれは、分野は異なりますが、
宝くじで高額当選した人を取り上げた週刊誌などの記事を見ても
思うことです。

よく、
「毎月このような組み合わせで買った」
「この売場で、この方位で買った」
「運気の良い方位にくじを保管しておいた」
など、外面的な要素ばかりがそうした記事では報道されますが、
当たった本人が常日頃どのような精神状態や思考で生きているのかは
ほとんどの場合、不問です。

実際には全ての現象を引き寄せるのは本人のエネルギー状態なので、
ここに言及せずには、当選した理由など、何もわかりようがないのです。

今回の動画では、立花隆氏の著書を題材にして考えてきました。

「死とは、偶然 生まれてきた肉体の終わりで、死ねばチリになる。
したがって、人生にも死にも特に意味はない。
それが科学的で中立的な事実だ」
と、「自分を科学的・論理的」だと自負する人たちはよく言いますが、

彼らの多くも、微妙に思い込みや、
好き嫌いの感情に判断を曇らされており、
決して明快でスッキリした判断だとは感じにくいのですが、
あなたの感想はいかがでしょうか。

これまでの何本かの動画でお伝えしてきた、飯田史彦氏たちの死生観と、
立花隆氏たちの死生観と、どちらがあなたをより力づけますか。
決めるのは、あなたです。

<参考図書>
『死は怖くない』
『人は死ねばゴミになる』
『夢の科学――そのとき脳は何をしているのか?』
飯田史彦著『生きがいの創造』 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

ホリスティック(※)精神科医として、できるだけ薬を使わずメンタル改善する方法を様々に模索し、相談者にご提供してきました。このブログではその中でも特にアート(特に絵画療法)のエッセンスを通じてあなたが自己ヒーリングできるように工夫した情報を発信していきます。 ーーーーー ※ホリスティック:「統合的、総合的な」という意味。ここでは薬物療法オンリーの従来型精神医学の限界を突破するために深層心理学、催眠療法(ヒプノセラピー)その他のスピリチュアル、アロマセラピー、そして精神症状を改善するエビデンスのある分子整合(オーソモレキュラー)栄養療法を通じてメンタル不調を改善することを指します。