前世(過去生)を認めると、この人生にどんな良い影響があるのかわかる

「前世」があると仮定することで、今回の人生が充実するしくみ

スピリチュアルカウンセリングや催眠療法などで、自分はどんな前世を
生きていたか知りたい、という人は一定数おられます。
かつて「前世療法」がブームになったのもそのためですが、
ではなぜ、人は自分の前世を知りたがるのでしょうか?

人生を日々生きていく上での前世の意義と、一方で常にある
「前世リーディングでは武士や王様ばかり出てきておかしいじゃないか」
という前世批判者たちの視点のどこが間違っているのかも含めて
今回はご説明します。

今回も、脳機能学者苫米地英人氏の著書『スピリチュアリズム』での
スピリチュアル批判に対する反論です。
7項目あるうちの、今回は4項目目と5項目について、解説していきます。

(4)そもそも輪廻転生の教えている内容が矛盾している、という主張 。

要するに現在「守護霊」と呼ばれているものは、
死んだ人間の魂が生きている人間に対して何らかの意味を持つ
ということだと考えて良いでしょう。

ただ、もうお気づきかと思いますが、これは先に触れた輪廻転生とは、
そもそも全く相容れない概念なのです。

生まれ変わりを肯定するならば、「輪廻した」つまり死んだ瞬間に
その人は同じ時間に世界のどこかで生まれ変わっているのですから、
霊魂がそこにうろうろしているわけがありません。

これほど明らかに矛盾した話なのに、
なぜ誰も疑問を抱かないのでしょうか?

確かにチベット仏教においては、現在もダライ・ラマの後継者を、
前のラマが死んだ時刻にチベットの地に生まれた男子の中から選んでおり、これは輪廻転生の思想に基づいています。

しかし輪廻転生が事実かどうか証明することができない以上、
チベット流の輪廻観だけが真実とはいえないはずです。

実際、トロント大学教授のジョエル・L・ホイットン博士
催眠療法を実施した被験者たちについてまとめた報告によると、
死んでから次に生まれ変わるまでの間は、(この世の時間尺度で)
最短で十か月、最長では八百年以上に及び、
平均では四十年程度とのことです
(これは『輪廻転生』という著書に記されています)。

また、私が輪廻転生のことを最初に読むようになったのは
大手書店の精神世界系コーナーの本何冊かからですが、
いずれも概ね次のような内容でした。

地上での死亡から、同じ魂が次回地上に生まれ変わるまでは
大抵数百年くらいの間をおくことが多い。200年未満は短い方である。
たまに、死亡して数ヶ月~数年以内に生まれ変わることがあるが、
それは例えば、以下のような場合である。すなわち、

親がまだ若い子供を残して病気や事故で亡くなった場合に、子供のことが心残りで側を離れたくなく、その子の子供として、再度生まれてくることにした時や、幼くして死んだ人生の後、
その両親が新たな子どもを産む場合に、再びその両親のもとに生まれる場合などである。

・そしてこのように転生の間隔がある程度開く理由としては、

①前の人生について熟考し、その人生で果たせなかった課題を検討し、
次回の人生ではクリアできるよう、時代や国、両親像などを設定してから
再び転生するから、というのと、

そもそも「あの世」と「この世」では時間の流れ方が違うため、
あの世からすぐ転生したとしてもこの世では数百年経っていたり、
逆にほとんど時間が経過していない場合もありうるからです。

例えばお伽話「浦島太郎」でも、竜宮城でしばらく(これは3か月から3年まで、諸説あります)遊び暮らした太郎が、自分の生活環境に戻ってくると
そこは何百年も経って変わり果てており、

土産の玉手箱を空けると老人になってしまったということから
示唆されるように、異なる世界同士の時間の流れは違うことが
大いにありうるのです。

またスピリチュアリズムの教えるところでは、地上の人生で
一人だった人の魂が次の人生でも必ずしも一人とは限らず、
分割して同時に複数の人の身体に入ったり、
逆に別の魂といくつか複合して次の人生を生きたりするなど、
何でもありうるファジーさです。

したがって、ある人が亡くなり、別の人格として地上に生まれる一方で、
魂(あるいは霊)の形のまま、
この世の家族の側にいて見守っているなどということも、
別に違和感がないのです。

伝統的宗教の教義でも、宗教である以上「科学的証明」など
できないのであり、スピリチュアリズムはそもそも
伝統的宗教では「難解」だったり
「禁欲的・懲罰的過ぎるなど、縛りが強くて窮屈」、
「戒律という形ばかりが重視され、心を軽視するなど本末転倒」、
そして
「現代人の腑に落ちない(つまり納得感が得られない)」
といったことから、従来の諸宗教の「いいとこ取り」をしたものだ、
ということもできます。

ただしこれは何もスピリチュアリズムだけのことではなく、
キリスト教も、仏教、その他の主な宗教でも、
「現在の教えでは納得できない、心が救われない」という理由から、
数え切れないほどの改革や分派が生じ、現在に至っているのであり、
宗教や思想は時代に沿って常に変転していくものなのです。

ただ、かつての宗教改革者たちのように、従来の宗教を
生活の中で骨の髄まで味わった上で熟考し、壮大な理想と反骨精神、
命がけの行動力をもって意思表明していたのとは違って、
現代のスピリチュアリストの大半は
そこまでの決意と信念で自分の考えを発信しているかというと、
それは疑問ですがね。

(5)リーディングで出てくる「前世」は武士や王侯貴族など、人口比では滅多にいない人ばかりなのはおかしい、という批判。

(5)つめの批判点として、
霊能者でありスピリチュアルカウンセラーを名乗る江原啓之氏が出演して
大人気になったTV番組「オーラの泉」では、有名芸能人などを
スタジオに招き、本人の前世を読んだり、本人の守護霊からのメッセージを伝える、というパフォーマンスをしていました。
これについての批判です。

「オーラの泉」に登場する芸能人の前世は武士が何故かやたら多い、しかし
武士の人口比は最多であった江戸時代でもせいぜい一割程度だったのだから、おかしいと言う主張もありますが(61ページ)、

先程述べたように、転生の際には必ずしも前の魂と次の魂が一対一で
対応しているとは限らないので、過去に武士の人口比が少なかったからと
いって、現代において霊能者のリーディングを受けるクライアントの
武士人口比も低いはずというのも、思い込みに過ぎません。

また、なぜ有名人の前世が「武士」や「宗教家」や「貴族」など一部階層の人ばかり多いのかを考えるにおいては、
以下の二つの考え方が参考になるでしょう。

①輪廻転生の魂は個人から個人への一対一で対応しているとは限らない。

まずは、私がかつて西洋占星術などの占いを学んだ占星術家であり
神秘思想家の松村潔氏のホームページ( http://www.tora.ne.jp/ )での日記からの引用です(2009年8月3日)。

(なお、文中にある「第三等級宇宙」については、今は詳しい定義は
脇に置いて、読者はとりあえずは単に一般的意味の「宇宙」として、
聞いていただけると良いでしょう。)

わたしは時間の存在しない世界ということを軸にして考えているので、
ここから考えると、前世とはちょっと発想が違ってきます。

つまり、ひとつの巨大な意識体が、異なる空間に、異なる時間に、
同時的に釣り糸を垂れていてこれらが拾った信号が、全体として、
センターに持ち込まれるような考えです。
釣り糸の先に、ひとりの人物がいる。

これはひとりの人の身体も同じですよね。
細胞がそれぞれ知覚する。それらの集合が情報として入ってくる。

なので、空間に幾何図形的に複数の意識がちりばめられるように、
時間の中にも、ちりばめられて、
時間の中での幾何図形的な構造を持っていて、
それらをすべて、「いま」として捕らえることにしています。
時間のない世界なので、いまと言ってもしようがないんだけど、
便宜的に。

ただ、異なるホログラフになると、また異なったものが出てくるように、前世的なものは、差し替えがあり得るので、
固定的なものではないと思います。
かなり任意性の高いものだと考えることにしています。
で、意識が高度になればなるほど、その任意性は極端になる。

というのも、たとえば、意識の重心が、この(第三等級)宇宙に
おいての、「絶対」だとすると、この宇宙の中にあるすべてのものは
自分になってしまうわけで、他の人の前世も借りてこれる。(中略)

これはもう、家系も意味がないんだというような話ですね。
もとを辿ると、みな家族だったというような。(中略)

エドガー・ケイシーは前世のことを重要視しているけど、
わたしはエドガー・ケイシーでさえ、ちょっと勘違いしてないか?
と思っている。

つまりケイシーの言う前世は、
個別の魂の話をしている部分は案外と少ないです。
で、普遍的原型みたいな前世がいっぱい出てきます。

つまり共有されていて、ヨーロッパに住む人だと、数千人は
こんな人生送ってるだろ、みたいな、
個別個性でなく、スタイルというわけです。

いわゆる前世に関しての嘲笑的笑い話として、誰も彼もが
お姫様、王様、有名な武将というやつですよね。
名もなく、身体も弱く、のたれ死にしました、というのは少ない。
酒飲みで川から落ちて死んだとか。

少ないもなにもそれは情報として残らないからですね。
情報として残る、すなわち、刻印されている。(中略)
そのくらい強い刻印は、他の多くの人の印象の中にも
入ってしまうからです。

で、今日の人々は希釈された魂ということもこれに関係する。
現代人の千人ぶんが、かつての一人だったと仮定する。
すると現代人が千人、前世を見てほしいと言うと、
千人が、同じ前世を持っていることになる。
元型は、普遍的で、多くの人に強い印象を持ち込んでしまう。

そういう一般スタイルと化したものでなく、もっとストレートに
個別性を持った前世を探したい。
ところが、そういうチップは、時を超えて、ここに繋がり、
持ち込まれるほどに、生命力の継続性がない。
包丁の尖った先の欠けた歯のように、どこかに消えてしまい、
回収できない。(中略)

人間を個体として考えるのが間違っているのではあるまいか。
ネットワーク体と考えたほうがいい。
現実に、魂は百個しかなくて、身体は一万個あるようなズレがあります。
特別あつらえの、専用の個別の前世を持つほど、
人間個人は高級ではないです。(中略)

数の帳尻が合わなくても、人間はネットワーク体であると考えると、
矛盾はないです。
総勢数億人のレベル、数万人のレベル、
数千人のレベル、数十人のレベル。
どこにもでもチューニングできる。

もっと根源的な領域にチューニングするには、
今の自分というこだわりを捨てれば入れる。

個としてのわたしは死ぬけど、普遍的なわたしは生きていて、
実際に、リアリティがそこにシフトすると、考え方、見方、
思いはころっと変わってしまうけど、記憶の継続はありますよ。
リアリティが変わるけど、記憶の継続はある、というのが不思議。

つまり、どこまでを「自分」として定義するか?という、
アイデンティティの持ち方の違いで、
「前世があるか否か」もその人ごとに認識が変わる、
そういう相対的なものである、ということです。

今述べたことよりももう少し身近な喩えなら、
事故などで記憶を失ったという例で考えることもできすでしょう。

いわゆる記憶喪失状態で
「ある日、Aさんが気がつくと、自分が誰なのか、どこにいて何をしている人なのかの記憶を失っていた」
という小説やドラマは、昔から多くあります。
これは想像を掻き立てられ、
人生の本質について考えさせられる設定だからでしょう。

例えば40歳で記憶喪失になってしまった場合。
最も近しかったはずの親や子供や配偶者が、見知らぬ他人に感じられ、
どのように受け答えして良いかわからなくなります。

「あなたはこんな人生を歩んできたのよ、ほら」
と子供時代からのアルバムを見せられたとしても
見知らぬ子供の姿としてしか映らず、
あるいは自分が手帳に書いた文字を見てもリアリティがない。

職場の人間関係ももちろんそうですし、
自分が馴染み、得意であったはずの知識や技術の
記憶もないので仕事も支障をきたします。

ただ、記憶喪失の程度によっては、一部の仕事は(自覚的には
記憶がなくても)なぜか反射的に手が動いて正しい操作や選択をできたり、重要書類の保管箱のロックを解除する暗証番号を、
覚えもないのに打ち込めたりします。

あるいは、自分の意識としては見知らぬ人のはずなのに、
なぜか特定の人に会った瞬間に鳥肌が立つような嫌悪感や不安感が
湧いてきたり、逆にやけに懐かしさや安心感を感じたりします。

そうした、何もかも初めてで戸惑いだらけの状態から、
子供時代のように、再び一から知識と経験を
積み上げていかねばならなりません。

このように、現在この世に生きるほんの数十年の人生でさえ、
長期的記憶を失うと、自分の過去に対して現実感が失われ、
過去の自分は感覚上、他人と同じように距離のある、
異質なものと感じられるようになってしまいます。

そして現在の自分は「今」という時間の中に隔離された、
孤独で無力な存在に感じられがちとなるのです。

これと同じように、今の自分の人生が唯一のもので、
死によって無と化すものだという前提だと、
多くの人にとってそれは虚無的で、孤独で、
無力なものに感じられやすいでしょう。

普通は現世に生まれた時点で前世の記憶を失っているので
(その理由と意義もスピリチュアリズムで説明しています。
そのことも後で述べます)、
ちょうどパソコンを初期化した時のように、
前世で営々と築いていた知識や経験の記憶はリセットされ、このため
その人はまた人生を生き直さばならないのです。

しかしここでもし
「前世があり、現世の後この世で死んでも、また次の人生がある」
と考えるとすると、より長い時間のスパンで
自分の人生を捉えることができ、死への不安が減ったり、
世の中の理不尽さへの対処法もより前向きにすることができるでしょう。

その「証拠」として、人は前世をリーディングしてもらいたがります。
なぜなら「自分」の連続性は、記憶の存続の長さ次第だからです。

②「個人」はジグソーパズルの一片に過ぎない、という考え方

もう一つの喩えが、『誰でもヘミシンク』という本にあります。
これは著者がヘミシンク、すなわち
左右の耳から微妙に周波数の異なる音を聞くことで、急速に意識変容状態に入り、宇宙にある高次の意識体とのコンタクトを持つことができるとする、独自のCDを用いた瞑想法で、ロバート・モンロー氏が開発したシステムですが、このヘミシンク中に、
高次意識体から転生についての講義を受けたとする部分の内容です。

以下に引用します。

ひとりの魂は(ジグソーパズルの)1つのピースです。
そして、そのピースが集まったものが1枚の絵になりますね、
それが(中略)類魂(つまり似た魂同士)という考え方ですね。
パズルの絵は風景かもしれませんし、抽象画かもしれません。

ただ、1つのピースであるあなたたちは、
どのような絵になるかはさっぱりわからないはずです。

ハイヤーセルフと会うことでいろいろな変化が起こるというのは、
この絵の概要を知ることができるからです。
自分が大きなものの1つを担っているという考えをしっかりと持つと、
いまの生き方がより大切なものになってきます。

みなさんがいまやるべきことは、そのピースを磨くこと、
隣の境目をしっかり磨き、ナメラカにつながれるようにすることです。

絵には美しい海のところもあれば、夜を表現した部分もあります。
前世、来世、今世という考え方は、このパズルの概念で見ると、
そういうものが存在していないことに気がつくと思います。

同一の魂が輪廻していくのではありません。
皆さんは1枚の大きな絵なのです。
その表現として、1つのピースという形をいまとっているだけです。

前世というのは他のピースのことです。
だから同じ前世を持つ方がいたりします。
それは単に同じパズル仲間の人だということで、
そう問題になることでもありません。

前世の因縁、カルマというのはピースの境目、つながり具合のことです。
そこがうまくいかないから周りのピースとうまく合わさらない。
ただそれだけのことです。
それで悩むことではありません。
自分でそこをナメラカにすればいいだけのことです。

いまここで生きているのは、大きな絵を完成させるため、
綺麗な絵にするためにすべてのピースが輝けるようになるため、
そのように考えていただくとよろしいかと思います。(中略)

だからカルマという概念は、あなた達生きている人々が
作ったものであることを知っておいてください。
先祖のせいでいまの状況になった、というのは
人のせいにしているだけです。

自分のカルマを解消するまでよい人生が歩めない、
というのは自分の努力を放棄しているだけです。

あなた方はいま、決められたピースを生きているのですから、
ほかのピースのことなど気にしてはいけません。
影響があるときは、嫌でもわかってきます。

それと、間違っていただきたいくないのが、
「どうせ決まっている人生ならば何もせずに、
ぼんやりと過ごしてもいいのだろう?」
と考えてほしくないということです。

いま感じる心の動きに耳を傾けて、
常にその方向を見あやまらないで頂きたいですね。
それがあなたのピースの形なのですから。

そして、あなた達の作る絵は、
さらなる大きな絵の一部であることも理解してください。(中略)
小さなものの集まりが1つの大きな存在を作り、
大きな存在はもっと大きな存在の一部。(中略)

そのような形ですべてはつながっています。
あなた達自身も、何か小さなものの集合体だということをお忘れなく。

喩え方はさまざまですが、今世で生きているこの肉体を持つ自分だけが
「自分」ではないという人生観、そして
そのような広がりやつながりをもつ存在として自分を捉えるという意味を
正しく理解したときには、現世の自分の人生を軽視するどころか、
その大切な意味を実感し、愛しく思えるようになります。

もちろん、そうした人生観を選択するかどうかも、その人の自由なのです。

次回の動画では、苫米地氏が「守護霊」というものに対して抱いている
先入観と、偏見によって占いを一方的に切り捨ててしまっている
点について、ご説明します。

<関連動画>
「科学的」V.S.「スピリチュアル」――真に「科学的」なスタンスとは https://heart-art.jp/science-vs-spiritual 
「スピリチュアル」を批判する「科学者」たちの、誤解と思い込み【スピリチュアル批判書への反論】 https://heart-art.jp/criticizing-spiritual 

<参考図書>
『誰でもヘミシンク――サラリーマン「異次元」を旅する』 https://amzn.to/321BlkN 

 

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ホリスティック(※)精神科医として、できるだけ薬を使わずメンタル改善する方法を様々に模索し、相談者にご提供してきました。このブログではその中でも特にアート(特に絵画療法)のエッセンスを通じてあなたが自己ヒーリングできるように工夫した情報を発信していきます。 ーーーーー ※ホリスティック:「統合的、総合的な」という意味。ここでは薬物療法オンリーの従来型精神医学の限界を突破するために深層心理学、催眠療法(ヒプノセラピー)その他のスピリチュアル、アロマセラピー、そして精神症状を改善するエビデンスのある分子整合(オーソモレキュラー)栄養療法を通じてメンタル不調を改善することを指します。