人は生きてきた通りに死ぬ

人は生きてきた通りに死ぬ 【今の精神状態で死ねますか?】

今日、あなたの調子はどうですか?
体調や気分は良いですか?
どんな生活や仕事や人間関係を持ち、それに対してどの程度の
充実感や満足感、あるいは感謝の念を感じられていますか?

または、いつも何か不満の種を抱えていて、
たとえ何か願いがかなったとしても、その直後にはもう
「足りないこと」のほうに目がいってしまい、
その不足部分への不平不満や、イライラや、不安などの
ネガティブな感情中心になっていますか?

もし後者だとすると、残念ながら
あなたは人生最後の日、つまり死ぬ日もまた、
今日と同じような気持ちで迎える
可能性が非常に高いです。

なぜなら人は、今生きている通りに死ぬ、
ということがわかっているからです。

今回の記事では、なぜそういえるのか、そして
ではどうすればもっと満足感と充実感をもって
死を迎えることができるのか、
そのポイントをお伝えしますね。

 

今のあなたの状態が、死ぬ日のあなたの状態である

「人は生きてきた通りに死ぬ」。
なぜ、そう断言できるのでしょうか?

それは、私が20代に1年間休学するほどの重症のうつ病をわずらい
毎日死ぬことばかり考えてきた時期があったことから、逆に
どうすれば死に逃げないで済むような
幸せな人生を送れるかを
一生懸命考えたことが1つの理由です。

もう1つは、これも過去動画でもお話ししましたが、
まだ若い友人が急になくなってしまい、その理不尽さをどう理解し
受け止めたら良いのか の考え方を探すうちに、
いわゆるスピリチュアルな死生観を知り、それに納得できたことです。

そして3つ目の、決め手になったことが、
ターミナルケア――つまり主にがん患者で間もなく死を迎える人たちの
心身の痛みを緩和する病棟やホスピスでの研修経験から、
人がどのような死の体験をするかは、それまでの人生でどのように
過ごしてきたかがそのまま反映されるのだ、ということを
具体的な事例としていくつも見聞きして、確信が持てたからです。

今回の記事では、特に3つ目について、詳しくお話ししますね。

私はターミナルケアに関心を抱き、30代前半の数年間、
ある大学病院の「緩和ケアチーム」という所に入らせてもらって、
研修経験をしました。

そこでは当時はまだ緩和ケア専用の病棟はなかったので、
外科や内科の主治医から患者について、もう積極的な治療は無理だが
少しでも心身の痛みを減らせるケアの助言をしてほしい、という依頼が
緩和ケアチームに入ってきたのです。

チーム長の専門は麻酔科医だったので、
もちろん身体面での鎮痛薬の使い方もエキスパートでした。

ただ、やはり人生最大の難関と思われている「死」をストレスに感じて
本人はもちろんのこと、ケアする立場の医療従事者も
どう対応していいかよくわからなくてとまどっている
という状態がほとんどだったのです。

こうした、死を間近に控えた人に寄り添い、その心のケアをするのは
従来、牧師やシスター、仏教ならお坊さんなど
聖職者といわれる人たちの役割でした。

そしてホスピスはそのほとんどがキリスト教系の団体によって
運営されていて、
緩和ケアも牧師等が患者の話を聞き、宗教的観点からの癒やしや
助言を伝える、という形がほとんどです。

しかし私が行った所は大学病院であり、宗教とは無関係の組織だったため
宗教的な定義とは別に、死の不安に向き合う人をどうサポートするか、
ということが大きな使命でした。

この研修を通じて、あるホスピス医と友人になりました。

森津純子先生といって、もともとはバリバリの外科医だったのですが、
ある時、過剰な医療でかえって寿命を縮め、不幸な亡くなり方をした
患者さんを目撃した経験から、従来型の医療、つまり

「治すことが善で、治せずに死を迎えるのは敗北であり失敗である」
という標準医療のベースになっている価値観に疑問を感じるようになり、
やがて新潟県で開設された独自のホスピス病棟医長も
されたことのある方です。

森津先生といろいろ話してとても勉強になったことが多いのですが、
中でも「人は生きてきた通りに死ぬ」というのが
最もインパクトのある真実の一つでした。

過去何百人という看取りをして来た結果、
「今、目の前にいるこの人が死を迎えるとしたら、どのような経過で、
どんな内面的な状態であの世に旅立つか」
のイメージが、その人の普段の言動から見えてきてしまうのだそうです。

最初は私も「えっ、そんなことわかるの?」と疑問に感じましたが、
森津先生の話を聞き、多くの患者さんの臨終の様子を見聞きするにつれて
「本当に、その通りだなあ」
と実感するに至りました。

もちろん、特定の人がいつ、どんな理由で死に至るかは、
起こってみなければわからないことです。

しかしその出来事が起きた後、それを当人がどう受け止め、その結果
どのような気持ちや健康状態や対人関係の中で過ごし、
その結果としてどのような死の迎え方をするかは、
かなり想像がつくといえるのです。

社畜(企業戦士)で、家庭をおろそかにした男性の最期

例えば、働き盛りの男性で、いわゆる「仕事の鬼」で、
仕事に邁進するあまり、奥さんや子供と過ごす時間を
まともに持とうとせず、
「家庭のこと、つまり子供の進路も、町内会やマンション自治会のことも
妻に任せてるから」

と、家族とのつながりをおろそかにして来た男性の場合、
定年後に進行がんが見つかり
「今回は生きて退院できないだろう」という状況が見えてきた時、

その時になって急に奥さんや子供に頼りたいと思っても
既に家族はこの男性に愛情をほとんど感じられなくなっているため、
必要最小限の用事でしか病院に来ない、その結果死を待つ最期の日々を
孤独に過ごさねばならなかった、という事例はよくあることです。

逆に、たとえ社会的・経済的にはあまり成功せず、むしろ
金銭的余裕のない生活の中でも、家族を大事にし、
苦難の時期も含めて家族と協力し合いながら乗り越えてきた人の場合は、
いよいよという場合も家族や友人たちが交代で枕元に座り
よもやま話をするなど、人間関係によるサポートを
最後まで受けやすいのです。

宗教の役割

また、宗教への信仰心を持つことで死後の救済を信じることができて
心が落ち着くという人も多いでしょう。
ホスピスの多くがキリスト教など宗教ベースなのも、
この理由からです。

牧師などが患者を毎日訪問して「死」の意味や、死後どうなるかとか、
どんな考え方をして過ごすと天国に行きやすいかなどを
明確に伝えることができるのは、
その宗教的見地、指針が明確だからです。

こうした指針が特にない人が、死を目の前にした患者さんに
「自分は一生懸命生きてきたのに、努力もしたのに、
なぜ自分だけがこんな目に遭うの?」
と訊かれたら、ほとんどの人は上手く答えられず、
気まずいので、それもあって、医療従事者も含めて、
死の床にある人への訪問が、つい遠のいてしまうのです。

本当はもちろん、死に近い人ほど、
手厚い心理的サポートが必要なのに関わらず、です。

幸い、現代では、従来型の組織宗教はもちろん、
新興宗教にさえ頼る必要はなく、個人で最も納得できる死生観を作り、
それに沿って安心して生きて、幸せな死を迎えることもできます。

そのことについては今後もお伝えしていきたいと思いますが、
まずは間違った宗教心で生きると、日々がどんなに苦しく、かつ
その結果、死ぬ当日も辛いかを、ある事例を上げてご説明しますね。

自分を追い込む宗教を信じてしまうと・・・

ある30代の女性は、がんが発見されましたが、
手術も薬の使用も宗教的理由から拒否しました。
その結果、がんは進行し、あちこちの骨に転移しました。

がんで死ぬのが怖いというイメージの大部分は、
こうした骨転移の時などに生じる痛みが強く、
それが何週間も何ヶ月も続くので、
死ぬまで苦しむのではないか、というものです。

確かにそういう経過をとるがんもあるのですが、
数十年前と違って現代では、鎮痛剤の使い方も飛躍的に改善され、
モルヒネも含めて、適切に使えば、最小限の苦痛で
眠るように息を引き取る、というのができる場合がほとんどです。

しかしこの女性は鎮痛剤を悪いものと定義していたので
「信仰を破って鎮痛剤を使ったら地獄に落ちるから、
それよりは苦痛に耐えて、天国に行く」
と決意し、実行されました。

その結果、死を迎えた最期の日、
彼女は声が続く限り激痛の叫び声を上げ続け、
最期は「神様!神様!」と絶叫しながら、亡くなったのです。

もちろん、そのこと自体はご本人の主体性であり自由意志なので、
何もいうことはありません。

しかし、それで本当に幸せな人生だったのかな?
そして幸せな死に方だったのかな?
と、端(はた)から彼女を見ていた人たちのほとんどは
感じていたと思います。

それに、その女性はたまたま独身で、家族が見舞いにくる姿も
観察されていなかったので家族の苦痛というのは
とりあえず考慮せずに済んだのでしょうが、
これが普通に毎日のように見舞いにくる家族がいたら、どうでしょう?
家族は耐えられるでしょうか?

未熟な信仰心はかえって自分を苦しめ、人生を転落させる

あと、がんや死亡とは関係しないレベルですが、
信仰心というものへの理解がまだ浅かったために
宗教を人生に上手く活用できず、神を恨むようになってしまい、
かといって別のより良い価値観や人生観を見つけることもできず

慢性的なうつや無気力を抱えながら、あまり本意でない仕事を続けたり、
疲れやすく病気がちな身体を引きずるようにして
生きている人も、何人か見てきました。

例えばある女性はシングルマザーとして、
一人息子を育てながら生きてきました。
しかしある時に、無謀な無免許運転の若者に息子を轢かれ、
亡くしてしまったのです。

もちろん、息子を死に追いやった若者への怒り、
生きがいである息子を失った悲しみや絶望はもっともなことであり、
1年や2年間、暗い気持ちで過ごすのも無理ないことです。

ただこの女性の場合、残念だったのは、この事故をきっかけに
相手の若者だけでなく、自分の人生そのものを恨み、
仕事への意欲も失って出勤しなくなったため失業し、結果として
経済的にも、健康面でも悪くする状況を自ら作ってしまったことです。

事故そのものはどうすることもできなかったことですが、
それでも事故後、彼女を気遣い、話しを聞いてくれたり、
仕事面でもサポートを申し出てくれた友人知人たちは何人かいたのに、
彼女はそれらの親切もはねつけ、ひたすら無免許運転の若者と、
そんな流れになった自分の人生を恨みながら引きこもってしまったのです。

もしも辛いながらも、その中にもポジティブな面もあることに気づき、
そこに感謝できていたら、その後の仕事も、したがって経済面も、
健康面も、人間関係面も損なうことなく、
別の新たな人生を歩み始めることができていたでしょう。


あるいは、こんな人もいました。
その女性は遅めの結婚をし、その相手とはそれなりに平穏な家庭を
築けていたのですが、子供が欲しいという願いは叶えられず、
そのことで何年間も落ち込んでいました。

この方は思春期に、ある性的なショックを受け、しかも
思い切ってそのことを親に伝えても理解してもらえなかったことから
両親への恨みを拭えないまま、人生の後半に入ってきていました。

そのプロセスで「こんなに努力もしてきたし、
一生懸命お祈りもしてきたのに
あんな嫌な経験をしなければならなかった。
それに不妊治療続けても子供を授からないし、
きっと神も仏もいないんだ

と、もともとは家庭がキリスト教だったのですが、
本人は信仰から離れることにしたのです。

もちろん、特定の信仰をするかどうかは、当人の自由であり、
そこには善悪も、優劣もありません。

ただ残念ながら、この女性の場合も含めて、以下のような
間違った考え方をしてしまい、そのせいでそれ以降、
かなりの期間を苦しみの中で過ごすことになってしまう人たちは、
数多くいます。
その間違った考え方とは、以下のようなものが代表的です。

例えば
「こんな辛い経験ばかりさせられて、願いは叶えてくれない」とか、
「いきなり大災害に巻き込まれ、家族も財産も失った、ひどい!」とか、
「何も悪いことをしていないのに、子供が先天性の重病で、
 生まれて数週間で死んでしまった」、

一生懸命生きてきたのにこんなに辛い目に遭うということは、
この世には神も仏もいないんだ。
しょせん人生は偶然と、あとは要領の良さで上手く行く人がいるだけの、
不公平で理不尽な世界なのだ、と。

真の意味で自分を「救ってくれる」人生観を手に入れるために

こういう解釈は、まだ人生の因果関係を
本当には理解できていない段階の、浅い受け止め方に過ぎません。

これは別に、その人が無知だとか未熟でダメだという意味ではなく
まだ人生の本当の仕組みや、その背景にある大いなる愛
認めることができず、それ故に誤解して
苦しんでいる状態だということであり、
決してその人やその人の人生が絶望的なものなのではありません

現代では、これまでも何度も紹介してきた書籍
『生きがいの創造』シリーズをはじめとする
さまざまな、スピリチュアルな人生観を解説した良い書籍や、

最近では入門者にもわかりやすい You Tube 動画をいろんな人が
発信していますから、ぜひそういうもので基礎知識をつけ、
それに基づいて自身の内面を成長させより幸せ感を感じやすい
人生の歩き方を身につけていってほしいと思っています。

ちなみに森津先生はこれまでに何冊も、
素晴らしい本を出しておられます。

その中でも特に今回のテーマを深く、
かつわかりやすく解説した著書『絶対幸せに死ぬ方法』へのリンクを、
末尾に貼っておきますので、
ご関心のある方はぜひ読んでみてくださいね。



<参考図書>
『絶対しあわせに死ぬ方法』
『生きがいの創造』 

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ホリスティック(※)精神科医として、できるだけ薬を使わずメンタル改善する方法を様々に模索し、相談者にご提供してきました。このブログではその中でも特にアート(特に絵画療法)のエッセンスを通じてあなたが自己ヒーリングできるように工夫した情報を発信していきます。 ーーーーー ※ホリスティック:「統合的、総合的な」という意味。ここでは薬物療法オンリーの従来型精神医学の限界を突破するために深層心理学、催眠療法(ヒプノセラピー)その他のスピリチュアル、アロマセラピー、そして精神症状を改善するエビデンスのある分子整合(オーソモレキュラー)栄養療法を通じてメンタル不調を改善することを指します。