友達は少ないほうが良い

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10~20歳代の若者層は、自意識が過剰に高く
――つまり「周りからどう自分が見られているか」が気になるあまり、身動きできない、思ったことをいえないという心理は昔からありました。

これを「思春期心性」といいます。
その典型的で独特な症状の1つが「醜貌(しゅうぼう)恐怖」で、「自分は異常に醜い」と思い込むものです。

こうした思い込みはほとんど「妄想」レベルであり、つまりは周囲がいくら客観的知見をもとに説明しても説得不可、修正不能なほど強固なのです。

もちろん、統合失調症に現れる真性の妄想とは異なり
そのターゲットが「自分の容貌」に限定されるという特徴があるのですが、
短期間(数ヶ月以内とか)で改善することは非常に少ないです。

同じような心性で起きる症状は、他に
・自己臭恐怖(体臭、口臭、わきが)
・摂食障害による拒食や過食嘔吐
などがあり、これも周りが「別に臭くないよ」「太ってないじゃない」と心から伝えても、納得しません。

こうした妄想レベルの思い込みは自尊心を下げ
他人への恐怖感・不信感を増強しますから、
社会生活を送ることが困難になっていきます。

実際、これらの症状が発症、悪化して、学校や会社に通えなくなり、自宅に何年も引きこもってしまっている人も多いです。

さらに2000年代に入りインターネットが、
加えて2010年代からはスマホが普及するにつれ
ブログやSNS といったインターネット上のバーチャルなつながりが日常化してくると、

「周囲の目」がアナログな時代の数人~数十人だったのが
すぐに数百人から数万人単位にふくれあがり、
そのためますます上述のような被害妄想的思い込みをきたしやくなっています。

さらに悪いことには、ネット上の浅いつながりは
個人同士の信頼感に基づいた本当の交流はごく少なく、
ほとんどは表面的なイメージ上のもの。

となると、ますます前述のような「外見」上のことを
気にする傾向が肥大化してしまいがちなのです。

「価値あるつながり」は数が限られる

しかし実際には、人生で本当にわかちあう価値のある人間関係は数えるほどであり、同時にそれだけでもたっぷり精神エネルギーや時間的エネルギーを取られるので、万人に良い顔をするなんて、所詮無理なことです。

特に10代までは、親と、学校での人間関係が
人生の全てと感じてしまいますから、
その中でたまたま気の合わない人ばかりだと

「人生って苦しい」
「自分は他人に受け入れられない、価値のない人間だ」

などと極端な結論を出してしまい、
生きる気力が低下してしまいます。

悪いことに、その時期の人って、その時の環境や人間関係がごく一時的で限られたものに過ぎず、今後社会に出て他の価値観を持つ人達に出会えば気にならなくなるどころか、いきいきと暮らせる可能性が高いのに、最初の環境が人生の全てと信じ込んでしまうのです。

例えば私は、大学生までは、学校生活が苦痛でした。
なぜなら学校(会社等もですが)は自分という個人とは
無関係な基準で他の生徒を集めているので、
気の合わないクラスメイトばかりだったからです。

私は、特に親しくもないのに

・なんとなく一緒におしゃべりする(しかもムダに時間が長い!)
・休憩時間に一緒にトイレにいく(ナンセンス!)
・親しくもない子たちとグループになって弁当を食べる(気を遣ってしまって、味がしない!)

といった、周りの人達の言動がうっとうしくてしょうがなく、だから休憩時間は読書したりして、一人でマイペースに過ごしていました。

それは外見上「孤立している」「寂しそうだ」と見られているだろうことはわかっていましたが、
無理に合わせて毎日過ごすよりははるかにマシに思えたのです。

実際、「人見知りも90日で改善できる」でも書いたように、
その後自分が目指す方向へ進んでいくにつれ、
どんどん生きやすくなっていきました。

人間関係も「ランクづけ」して良い

対人関係療法(IPT)」という、心理療法があります。
日本には精神科医の水島広子氏が精力的に紹介しておられますが、

その要諦の1つは「人間関係の重要度にランク付けし、それに応じた対応をする」です。

つまり、人間関係の濃さを例えば以下のように分け、優先順位の高い関係性にだけ注力し、優先度の低いものは(のちに自分に十分余裕ができるまでは)放置する、ということです。

ここでは4段階に分類してみました。

1.自分にとって最も大切な、濃い人間関係
 例:親や兄弟姉妹、親友、伴侶など

2.中程度に関係性が濃いもの
例:それなりに支え合っている友人たち、毎日協力し合う必要のある人たち(クラスメイト、会社の同僚や上司など)、趣味の会で気が合う数人など

3.それなりに顔を合わせるが、信頼感をはじめとする心理的結びつきは弱いもの
例:近所の顔見知り、通勤・通学電車でよく乗り合わせる人、ほとんど口をきかないレベルのクラスメイト(同僚)、他のクラスの生徒(他部署の社員)など

4. 2度と会わない、ほとんど再会しないと思われる人
いきずりの人、SNS 等でコメントしてくる人、SNS であなたのタイムラインに記事が流れてくる人
これらは「知人」でさえないレベルの人たちです。

人生上でどうしても必要な人間関係のほとんどは1.のカテゴリーであり、オプションとして2.でも何人か好ましい関係を持てるといいね、というのをまずは目標にすると良いでしょう。

多くの人が学校のみならず、会社に入ってからも「周りのみんなと仲良くせねば」と思い込んでいますが、
そして確かに、あまりにもギスギスして事務的連絡も滞るようでは仕事上支障をきたしますが、

必要最小限の報告・連絡・相談ができているなら、2.レベルの人たちに対して情緒的な関わりを持つ必要はありません。

情緒的関わりとは、例えば
・業務上必要でもない相手の愚痴に何度もつきあう
・気が乗らない飲み会などのイベントにいく
・昼休みに「つきあい」で好きでもない同僚たちと過ごす
・本当は話したくないのに、相手に尋ねられるままに私生活のことを話す
といったことです。

会社は、会社の基準・価値観で選んだ人たちを集めた場に過ぎず、あなたの価値観や感性とは無関係です。

したがって、一会社員としてあなたに労務上求められていることさえやっているなら、それ以外は関係ない、と割り切るように努力しましょう。

そして、例えばつきあい残業や飲み会をきっぱり断ったことで浮いた時間と労力を有効活用し

・睡眠、休養、栄養価のある食事、趣味などに使う

・あなたと より気の合う人たちと過ごす場(趣味その他)での時間を増やすことで心身が元気になる

・一人でじっくり考える必要のあるもの、あるいはあなたが尊敬する人やそれに近い価値観を持つ人たちと交流することで仕事(キャリア)の方向性、プライベートなライフプランなど、人生にとって最も大切なテーマに取り組むことができる

といった、充実した人生を歩むために必要なことに取り組めるようになります。

「友だち100人できるかな」の幻想

毎年、春の新入学シーズンが近づくと、
いろいろなお店のBGM で「友だち100人できるかな」の歌が流れます。

新生活への明るい期待を歌ったものでしょうが、
これが連呼されることで、誤った観念を子供にも親にも
いつのまにか植え付けているのでは、と私はいつも感じます。

「クラス全員と仲良しの良い子」は、教師と親にとっては望ましいイメージでしょうが、
実際には子供一人一人は性格・好み・能力・体質などがバラバラなのだから、

「みんなと仲良く」よりも「自分と違う人たちをどうやったらそれなりに理解したり、理解できないまでもまあまあ協力してやっていけるのか」を試行錯誤しながら学ぶ場だ、

だからプロセスとしての衝突や誤解や喧嘩も普通で悪いことじゃない、というマインドセットを、教師も親も最初に子どもたちにぜひ教えてほしいものです。

そこで学んだことが、社会人になってからの人生にも直結することなのですから。

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ホリスティック(※)精神科医として、できるだけ薬を使わずメンタル改善する方法を様々に模索し、相談者にご提供してきました。このブログではその中でも特にアート(特に絵画療法)のエッセンスを通じてあなたが自己ヒーリングできるように工夫した情報を発信していきます。 ーーーーー ※ホリスティック:「統合的、総合的な」という意味。ここでは薬物療法オンリーの従来型精神医学の限界を突破するために深層心理学、催眠療法(ヒプノセラピー)その他のスピリチュアル、アロマセラピー、そして精神症状を改善するエビデンスのある分子整合(オーソモレキュラー)栄養療法を通じてメンタル不調を改善することを指します。